俺たちが都落ちして奥州にたどり着いて何日かが過ぎた。
秀衡が俺たちを受け入れてくれるかどうか多少は不安だったけど
さすがに、俺の知っている歴史と同じで、邪険な扱いはされずにすんだ。

 

紅葉の病気は、あれから小康状態を保っている。
医者が言うには、発作が出たのは長旅の過労からだから
奥州でのんびりと過ごしていれば、いずれ軽快するだろう、ってことだ。
完治するわけじゃないのは仕方ない。労咳の完治なんて抗生物質でも
使わなければ無理な話だ。

 

九羅香は、相変わらずやんちゃ姫ぶりを発揮している。
鍛錬につきあわされるこっちのみにもなって欲しい。
まったく、エネルギーの固まりって九羅香の為に
ある言葉だって思うよ。

 

静さんも、相変わらずだ。
街に出ては踊りの練習を披露している。
正直、俺には静さんが何を考えてるのかさっぱりわからない。

 

観月ちゃんは、紅葉と一緒にお茶をしたり
静さんと一緒に街に出たりしてる。
何か元気が出ていて一安心だ。

 

そして、楓はといえば…

 

「こら弁慶、なにぼんやりしてんのよ」
「何って、べつにいいじゃないか、九羅香につきあわされてつかれてるんだよ」
「だからってなんであんたが私のいるところに来るのよ。迷惑だってわかってんの？」
「べつにこの森は楓の持ち物でもないだろ。来たっていいじゃないか、減る物じゃなし」
「あんたが呼吸しただけ空気が減る。減るから帰れ」
「どこにいたって同じだろそれ…」
「いーから目障りだって言ってるでしょ。あたしはいま源九郎の訓練してる最中なんだから」
「あ、そ…」

 

楓は口笛を吹いて源九郎に指示を出している様だ。
ふーん、口笛ねえ…

 

「べーんーけーいー」
「え？なに？」
「なんであんた口笛吹くか！」
「べつにいいじゃないか。源九郎だって楓の口笛と俺の口笛ぐらい聞き分けられるだろ」
「あんたが重ねて吹いちゃったから源九郎がとちっちゃったじゃない。
　また訓練やり直しよ」
「あのさ、楓」
「なによっ！」
「俺が口笛吹いたぐらいでどうにかなるんだったら
　実戦で使えるのか？敵が同じように口笛を使ったら全然役に立たないぜ」
「…………あんたのいうのも、一理あるかもね」
「いや、いままで気付かなかったのかよ」
「そうじゃないわ。妨害のないことを前提にした訓練って意味がないんじゃって思っただけよ。
　じゃ、あんたそこにいて適当に口笛吹いてなさいよ。
　源九郎のためにもなるわ」
「あ、そ。…じゃ、暇つぶしに適当な曲でも吹いてみるよ」
「そうね。…源九郎、行くわよ」

 

１０分後

 

「…つかれた」
「あんたねえ…たった１０分間口笛を吹き続けることもできないわけ」
「ほっとけ、…俺は口笛奏者じゃないんだよ」
「だったらいきなりじゃまなんかすな！迷惑なのよ。
　ほらほら、何かすることあんの」
「ないです楓さん」
「じゃ、帰りなさいよ。べつにここにいたってすることないんでしょ」
「……まあ、少し休んでから帰るよ」
「あ、そ…じゃ、あたしが帰ることにするわ。源九郎！ついてきなさい」

 

源九郎は、その場にへたりこんで動こうとはしなかった。

 

「源九郎？どうしたのよ」
「・・・・・・・・」
「…あんた、それぐらいでつかれちゃったわけ？」

こくこく。
「…ま、仕方ないわね。慣れない訓練なんてしたからかしら。
　じゃ、しばらくここで休んでいきましょ」
「そうだね…」

 

俺は、草むらにごろっと横たわった。
楓も、草むらにしゃがんで休んでいる。
源九郎は、どこにいるかわからない。
俺は横になって休んでるから、源九郎ぐらいの背丈のものは
草の影になって見えないんだ。

 

「さて、源九郎、帰るわよ」

 

楓が源九郎に声を掛ける。
ふーん、じゃ、俺も帰るとするか。

 

「わぁ！」
「なに素っ頓狂な声を出してるのよ」
「いや、源九郎が目の前にいたから」
「帰るときにあんたの方をまたいで通って来ただけでしょ、驚くな」
「きつねもまたぐのかよ…」
「踏まれなかっただけましだとおもいなさい。さあ、行くわよ」

 

源九郎は、いつものように楓の肩へと飛び乗った。
いつも思うんだけど、重くないんだろうか。

 

さてと、俺もそろそろ帰ろうかな。
まだ日は高いけど、日があるうちに帰らないとね。
何しろ、今は平安時代。日が暮れたら真っ暗だし
どんな野生動物が現れるかもわからない。
いくら俺が武蔵坊弁慶だからって、熊や狼に
襲われるなんて冗談じゃないぜ。

 

とまあ、こんな生活が何日か続いてるわけだ。

 

そんなある日の夜。
俺はいつものように、俺の部屋で眠っていた。

 

「…？」

 

なんか俺の上にいるような気がするな。
気のせいか…

 

…弁慶、べんけいてば…

 

「？気のせいか…」
「起きなさいよ弁慶！」
「？？？…あれ、楓じゃないか…」

 

なんで夜中に、それも楓が俺の部屋にいるんだろう？

 

 

選択肢になってない。九羅香や紅葉や観月ちゃんなら何か用事があるんだろうし
静さんなら俺をからかいに来たなんてことがありうるが
楓が俺の部屋に来るなんて、もちろん夢に決まっている。
そうか、夢か、夢ならなんでもありだよな。

 

「…ん…楓…眠れないんだったらこっちへおいでよ…」

 

とりあえず楓の肩に手を掛けて布団の中に誘う。
なんというすごい夢だ。楓がおとなしく俺の誘いに乗るなんて。
０．１％ぐらい、現実かもしれないと思ってた俺のおそれが完全に消えた。

 

「…どうしたの楓、夢見でも悪かった？」

 

肩に手を回してみる。
なんという夢、なんというリアルな触感。
いや、べつに楓の肩に手を回したことなんてないから
本当に楓の手触りなのかどうかなんて判断できないけど
まるで本物だとしか思えない暖かさだ。
これはすごい。目が覚めてたら忘れてた、なんてことがあったら
もったいないな。

 

「…どうしたの？」

 

楓は、俺の方にそっと体を寄せる。
………いいんですか楓さん。いやさ俺の潜在意識。
夢だからなんでもありなのはよくわかっているけど。
よし、さらに一歩進め俺。１２０％夢なんだからなんでもありだ。

 

俺は楓を抱きしめた。

 

「なにやっとるか！」

 

つー。力一杯何かに殴られた。みぞおちが痛い…一体何が起きた？

 

「…ああ、楓、おはよう…って、なんで夢から覚めてまた夢の中？」
「源九郎が行方不明になったから探してたのよ。あんた一体源九郎となにやってるわけ？」
「何って？」

 

何って…気がつくと、俺の片腕の中に源九郎が収まってる。
なんだ、ねぼけて源九郎を抱きしめてたのか。

 

「なんだよ、源九郎が俺の部屋に入ってくるのは飼い主の責任だろ。
　なんで俺が悪いようにいわれなきゃならないんだ」
「なんでって…なんでもよ、とにかく、あんたが源九郎に口笛を吹いたのが悪い！」
「なんじゃそりゃ、…あのときはちゃんと楓も納得したじゃないか」
「あんたが余計なことするから源九郎の気が散っちゃったじゃないの。
　う゛ーったく、源九郎もなんで弁慶なんかになつくか」
「そんなこと俺に言うな。俺が口説いたわけじゃない」
「…ていうか、いつまで抱いてるつもりなのよ」
「いや、ふわふわのもこもこで気持ちよくって」
「意味不明ないいわけすな！源九郎、いいからこっち来なさい」
「だってさ。楓がああいってるし、帰った方がいいと思うぜ」

 

源九郎は、ちょっと名残惜しそうにこっちを見て、それから楓の方へ
しぶしぶといったかんじで歩いていく。

 

「………源九郎…あんた何かんがえてるわけ？わざわざあたしに化けて
　弁慶の部屋に行くなんて」
「え？じゃいままでのは全部夢じゃなかったのか？」
「夢というなら、夢のような物よ。源九郎に化かされてたんだから」

「…」

「あ、楓、こんな所にいた」
「お姉さま〜わざわざ夜に楓を探してくださってうれしいですぅ」
「ちょ、ちょっと楓、そんな抱きつかないで」
「照れなくてもいいですよお姉さま〜楓とお姉さまの中じゃないですか…」
「源九郎、独り身同士仲良くしようか」
「なんでそうなるかっ！」
「弁慶も冗談はやめろ。…大事な話があるんだ」
「大事な話って？…」
「屋敷全体に妙な気配が漂ってる」
「…そうかな。俺には静かな夜にしか思えないけど」
「…源九郎のことに気を取られてて、回りの気配にまで気がつかなかったわ。
　確かに、お姉さまの言うとおり、回りが静かすぎるわね。
　まるで、回りが死の世界に包まれたみたい」
「楓も感じる？…今、紅葉と静と観月は起こしてきた。
　みんな準備してるよ。弁慶はすぐについてこい。なんだか、いやな予感がするんだ」
「ああ、楓は？」
「あたしもお姉さまと一緒に行くわ。本気であぶない予感がするもの。
　源九郎、行くわよ」

 

こんどは、源九郎も素早く楓の肩に飛び乗った。
九羅香も楓も、おちゃらけたところが完全になくなっている。
どうやら、本当に、一大事が起きたようだ。

 

その一大事が、秀衡殿の暗殺だということを、まだ俺は予感してはいなかった。