ここは、いつもの崩れ荘。

 

　九羅香：もうつっこむ気力もない…。
　　与一：九羅香殿、暑いのはわかるがだらけすぎだ。
　九羅香：あーもう、なんで九月だというのにこんなに暑いのよぉ。
　　　静：あらら〜九羅香さんは〜修行がたりませんね〜。
　　玲奈：なんで静は涼しそうなんだよ。
　　　静：それは〜修行のたまものです〜。
　　玲奈：うそつけ、氷にタオルまいて中に入れてるの見たぜ。
　　　静：あら〜ばれちゃいましたか〜。
　九羅香：あ、それ涼しそう、あたしもやる。
　　紅葉：九羅香様。弁慶様から頂いた保冷剤が冷凍庫に入ってますからそれをお使いください。
　九羅香：保冷剤？
　　　楓：おねえさま〜、こんなこともあろうかと楓が用意いたしました〜。
　九羅香：あ、楓気が利くね。
　　　楓：お姉さまに役立ててうれしいです〜。
　九羅香：ちょっと、楓ってば、人が見てるんだし、その…
　　　楓：照れなくてもいいですよ〜
　　廉也：相変わらずですね、みなさん。
　　観月：変わらないことがよいこともありますよ、廉也。
　　廉也：そうかもしれません。観月様。
　　与一：さて、こういう場合に現れそうな人物が、そろそろ来てもよいだろうな。
　　廉也：来そうな人って…もしかして…
　　与一：そう引かなくていい。景川殿ではなく、弁慶だ。
　　廉也：あ、そうですね、なんだか安心しました。
　　与一：そんなにほっとした顔をするな、景川殿に悪いぞ。
　　廉也：そんなこと言われましても…。

 

噂をすれば影が差すという。
なるほど、誰かが来たようだ。

 

？？？？：よーっす。…と、すいません。どうやら場所を間違えたようです。
　九羅香：あれ、弁慶じゃない。なにそんな来る場所間違えたような顔をしてるの？
？？？？：弁慶？僕に弁慶なんて知り合いはいませんけど…。
　　玲奈：とぼけんなよ、なんかボール蹴りながら来てるから誰かと思ったぜ。
　　紅葉：ええ、まるで蹴球の選手みたいな格好ですけど、弁慶様…ですよね。
　　与一：ふむ…紅葉殿、九羅香殿、玲奈どの、どうやら、この人物、弁慶ではないな。
　　　静：そっくりではあるんですけどねぇ
　　廉也：まさか、妖怪かなにかですか？
　　　楓：源九郎が化かしてるわけじゃないわよ。
　　観月：…弁慶様のご兄弟ではないでしょうか。

 

助け船は、すぐにやってきた。
当の弁慶が、お約束通り現れたのである。

 

　　弁慶：こんちは~。九羅香~アイス買ってきたぞ。
　九羅香：ありがと弁慶…って、それどころじゃないよ。弁慶が二人？
　　弁慶：俺が二人ってどういう…。
？？？？：なんだ、おまえ遅いじゃないか。どこで遊んでたんだ？
　　弁慶：兄貴じゃないか！一体いつ帰ってきたんだよ。連絡なしに現れやがって。
弁慶の兄：連絡なしって失礼だな。ちゃんと家に寄ってから来たんだぜ。
　　弁慶：俺には内緒かよ。
弁慶の兄：そういうなよ。うちは校則が厳しくて携帯電話すら禁止だからな。
　　弁慶：今時珍しい学校もあるもんだな。
弁慶の兄：全寮制のスポーツ学校なんてそんなもんさ。不祥事ひとつで出場禁止だからな。
　　弁慶：いや、うちでもスポーツには力を入れてるけど、そんなことはないぞ。

 

話から置き去りにされている九羅香達一同そっちのけで
弁慶と弁慶もどき…いやさ、弁慶の兄の会話が盛り上がっている。

 

　九羅香：あのさ、弁慶。
　　弁慶：え？なに九羅香…ああそうだ、ごめん。紅葉、とりあえずアイスを冷やしておいてよ。
　　紅葉：そうですね弁慶様。暑い中歩いて来られたのですから、少し溶けてるでしょう。
　　弁慶：うん、頼むよ。
　　紅葉：はい、弁慶様。

 

紅葉は、弁慶からアイスを受け取ると冷凍庫へと急ぐ。

 

　九羅香：ちがーうぅ。
　　弁慶：どうしたの九羅香。
　九羅香：だから、こっちの蹴鞠してる弁慶もどきは誰？
　　弁慶：ああ、そういえば紹介してなかったっけ、こっちは俺の兄貴だよ。
弁慶の兄：まあ、そういうこと。こいつがいつも世話になってるってかあさんから聞いたよ。
　九羅香：弁慶の兄？弁慶って、お兄さんがいたの？
弁慶の兄：なんだ、俺のことを説明してなかったのかよ弁慶。
　　弁慶：紹介するような機会なんてなかっただろうが。
弁慶の兄：そういえばそうか。
　　観月：普段の会話でも全く聞きませんでした。
　　廉也：生き別れとか、そういういわれでもあるんですか？
　　弁慶：いや、全然そういうことでもないんだけど。
　　与一：そういえば、弁慶殿の家に行ったときも出会ったことがないな。
　　弁慶：そりゃそうだよ。兄貴は全寮制の男子校に通ってるからね。
弁慶の兄：毎日毎日サッカーサッカー、目覚めてサッカー昼休みにサッカー放課後サッカー。
　　弁慶：そういいつつ、ボールを蹴りながらここまできたんだろ。
弁慶の兄：そりゃ、ボールと友達にならなきゃ、二流にすらなれないからな。
　九羅香：ボールは友達か、いい言葉だね。
弁慶の兄：ありがとう。
　　弁慶：昔の漫画の台詞をぱくってるだけだよ。
　九羅香：弁慶、ひねくれすぎだ。
弁慶の兄：ところで、こいつ、なんで弁慶って呼ばれてるんだ？
　九羅香：えっと…話せば長いことなんだけど…
　　　静：タイムスリップして、弁慶さんになったんですよ〜。
　　　楓：簡単にいうとそうなるわね。まあ、逆にタイムスリップしてあたしらがこっちに来たんだけど。
　　紅葉：楓はタイムスリップではなく、コールドスリープでしょう。
　　　楓：大して変わらないわよ。
　　与一：技術的には大違いだな。
弁慶の兄：へー、そういう設定で剣道部の勧誘をしてるのか、なかなかやるなあ。
　　弁慶：てめ、このクソ兄貴、全部知ってるんじゃないか。
弁慶の兄：そりゃ、家族と手紙のやりとりぐらいはしてるぜ。おまえが筆無精過ぎなんだ。

　　弁慶：ほっとけ。べつに書くようなことはなにもないからな。
弁慶の兄：ほー。彼女が出来たのも兄には秘密か。ずいぶんと態度がでかくなったな、え？
　　弁慶：彼女って…まあ、ガールフレンドだよ。
弁慶の兄：彼女じゃないか。いいなあ。俺も共学にしときゃよかったよ。
　　弁慶：名門だからって好きこのんでサッカー学校に行ったのは兄貴だろ。
弁慶の兄：ま、それを言われたら仕方ないか。
　　弁慶：どうなんだよ。今年は。花園に行けそうか？
弁慶の兄：花園はラグビーだ。 サッカーは国立だよ。
　　弁慶：どっちでもいいよ。で、どうなんだ今年は。
弁慶の兄：やる前からだめだってあきらめる選手はいないぜ。今年は優勝だな。
　　弁慶：強気だな。
弁慶の兄：どうせだから、ちょっとおまえの成長ぶりを見るか。
　　弁慶：やかましい！なんで数時間早く生まれただけでそんなえらそうなんだよ。
弁慶の兄：数時間？一日違うんだぞ。
　　弁慶：そりゃ、生まれる時間が深夜またいだだけだろ。
　九羅香：なんだかさ…
　　紅葉：九羅香様、どうされました？
　九羅香：あんな風に、気のおけない様子の弁慶って、初めてかなって。
　　紅葉：そうですね。やはり、血は水より濃いのでしょうか。
　　　楓：ま、ね。紅葉だって、あたしだけ呼び捨てでしょ。
　　紅葉：…言われてみれば、そうですね。
　　玲奈：九羅香、うらやましいのか？
　九羅香：うーん。…私と兄上とはほとんどお会いしたこともなかったから…。
　　観月：身分があると、それだけで人付き合いが形式的になるものです。
　　玲奈：あたしは堅苦しいのって大嫌いなんだよな。忍者に生まれて良かったぜ。
　　　静：忍者に生まれたから〜堅苦しいのが苦手なのでは〜ないでしょうか〜
　　玲奈：うるさい。どっちだって同じだ。

弁慶の兄：よっと。ほらどうした。ボールはここだぞ。
　　弁慶：てめえ、卑怯だぞ、肩の上にボールをのせやがって。
弁慶の兄：手を使うなってルールはあっても、肩を使うなってルールはないぞ。ほらよっと。

 

弁慶の兄は、巧みにボールを操って弁慶がボールを取るのを阻止している。
弁慶の動きが全部見えてるようだ。

 

　九羅香：すごい。弁慶だって素人じゃないのに。
　　弁慶：九羅香、やってみるか？
　九羅香：よし、じゃあ弁慶、交代！
弁慶の兄：先に言っておくけど、手を使うのは禁止だからな。
　九羅香：う、そ、そのくらい知ってるもん。
　　紅葉：どうやら…
　　玲奈：今聞いたんだな。
　　廉也：サッカーなんて、聞いたことありませんから。
　　　楓：でも、お姉さまなら、今までの弁慶の動きで大体わかってるはずよ。
　　与一：油断してくれればだろう？
弁慶の兄：いくらなんでも、女の子に取られるようじゃ練習不足だぜ。
　九羅香：源義経を馬鹿にするな。…これでどうだ！
弁慶の兄：え？

 

九羅香は体を低くして、弁慶の兄が足下に置いていたボールを奪いに行く。
弁慶の兄はボールを素早く膝にから頭へとリフトアップしていく。
その頭の上に乗ったボールを、九羅香はオーバーヘッドで蹴り飛ばした。

 

べしゃっ。

 

　九羅香：いたた…
　　紅葉：九羅香様、大丈夫ですか。
　　与一：九羅香殿、無茶しすぎだ。体から落ちたから良かったような物の、頭から落ちたら大怪我だぞ。
　　弁慶：九羅香、無茶するなよ。…仮にも兄貴はＪリーガーから声が掛かってるんだぜ。
　九羅香：そんなことは先に言え！
弁慶の兄：ごめん。つい本気を出しちゃって…でも、すごいよ。あんな事出来るなんて。
　九羅香：まあ、弁慶とやってるとき、いつもこうやってボールを逃がしてたから。
弁慶の兄：それで、動きを読んだってこと？…なあ、おまえ、いったい彼女何者なんだ。
　　弁慶：兄貴、聞いただろ。彼女が今牛若って言われてるうちの部長だよ。
弁慶の兄：今牛若か、なるほど、そう言われるだけのことはあるな。
　　玲奈：…ちょっとまてよ。あたしにもやらせろ。
弁慶の兄：なあ、このちっこいのは？
　　玲奈：ちっこい言うな！あたしは伊勢玲奈ってんだ。
弁慶の兄：…聞いたことがない。
　　玲奈：聞いたことなくてもいいぜ。こんどはあたしが相手だ。ボールを取ってみろよ。
弁慶の兄：強気に出たな。
　　玲奈：素早さならあたしに勝てる奴なんていないぜ。
弁慶の兄：なるほど、…すごい速さだな。
　　玲奈：当たり前だ。
弁慶の兄：だけ、ど。
　　玲奈：なんだよ。
弁慶の兄：ほらとったー。
　　玲奈：ちくしょう、一体どうして？
弁慶の兄：ボールは友達っていっただろ。玲奈ちゃんには、ボールが丸くなかったってこと。
　　玲奈：玲奈ちゃんなんて呼ぶな！あたしはこう見えても１４歳だっ！
弁慶の兄：僕より３つ下じゃないか。
　　玲奈：やかましい、３つしか違わないんだよ。
弁慶の兄：ティーンエイジャーが３つも違えば大違い。ハイティーンとローティーンぐらい違う。
　　弁慶：玲奈、俺の気持ちがわかるだろ。
　　玲奈：なんか弁慶に言われるとむかつくけど、…わかる。
弁慶の兄：なんかひどい言われようだな。
　　玲奈：ひどいこと言ってるのはおまえだ。
　　紅葉：まあまあ、玲奈様。…みなさん、冷たいお茶が入りましたよ。
　　弁慶：ありがと。そろそろアイスも冷えてるだろ。
　　紅葉：ええ、たぶん。
　九羅香：じゃあ、おやつにしようよ。
　　美沙：さんせーっ！
　　廉也：わあっ！
　　美沙：そんなびっくりしなくてもいいのに…あれ、弁慶先輩が二人、どうしたの？
　　弁慶：…そんなに兄貴と俺って似てるか？
弁慶の兄：似てなきゃおかしいだろ。一卵性双生児だぜ。
　　弁慶：あー、そういえばそうだったよな。ったく、人生最大の汚点だぜ。
弁慶の兄：兄に向かってなんという口の利き方。兄さんはおまえをそんな子に育てた覚えはない。
　　弁慶：兄貴に育てられた覚えもないわ！
　　美沙：あはは、二人ともそっくりだよ。ね、水ようかん持ってきたよ、みんな食べる？
　九羅香：もちろん。弁慶のアイスと一緒に食べようよ。
　　紅葉：はい、どうぞお上がりください。
弁慶の兄：おじゃまします。
　　弁慶：こら先陣切って入っていくな。人の家だろ…。
　　　楓：無礼は弁慶譲りみたいね。
　　　静：むしろ〜この兄にしてこの弟ありでは〜
　　与一：そうかもしれんな。

 

残暑厳しい初秋の昼間のお話。
遠方からの客人が来ても、九羅香達はやっぱり九羅香達であるようだ。