さて、リンネとの試合は終わってない。
試合というてもデスマッチ。親しいどつきあいじゃ。
とはいえ、リンネの動きには、ビデオで研究したときのような切れはない。
それは今までずっと感じていたことじゃ。
この試合にリンネが勝てば、ハルさんがタイトルマッチをする約束をしとる。
それだけに試合に集中するかと思うたが、どうやらそれ以外の事に気を取られ取るようじゃ。
なら、まずはワシとの試合に集中するように、こちらの実力をみせんとな。
雑念で動きが鈍ってる分、こっちの攻撃はリンネのガードをかわしてリンネに入るようになってきた。
威力は覇王断空拳のように強くはないが、ダメージはリンネに蓄積していっとるはずじゃ。
リンネも打ち合う気にはなっとるようじゃが、心ここにあらずでは、そうそう当たるものでもない。
何に気をとられてるのかは正直わからん。わからんが……
まともにアッパーを食らった。
意識が吹き飛ぶ。
リンネの渾身の一撃。きれいにあごに入ったようじゃ。
ウーラが心配しとるようじゃ。
大丈夫、この試合はデスマッチ、こっちの心が折れん限り、試合はおわらん。
心は折れんかったが、あごへの一撃で歯が折れた。
これは歯医者にいかんとならんな、治療費が高くつきそうじゃ。
それはともかく、リンネの動きが急に良くなる。
雑念が消えて、試合に集中できとるようじゃ。
どうやら、ここからが本当の試合になるんじゃろう。
こっちも、気合いをいれなおさんとな。
入れなおさんと、とは思うとるが、ずっと受け太刀になる。
今のリンネは決して弱くない。今まで弱いと感じてたものが消えとる。
何がきっかけかはわからんが、意識が試合にすべてむいてるのが分かる。
今までなら間合いを開けて反撃出来たが、リンネの踏み込みが早くて
間合いを開けるゆとりすらあたえられん。
壁際に追い詰められる、もう下がる余地はない。
なら前に出るまでじゃ。
リンネの一撃が重いのは承知で、クロスカウンターを狙う。
こっちは前に出損ねて壁にたたきつけられるが、リンネにもまともに当たる。
これでリンネが吹っ飛んで間合いが出来る。
デスマッチは今までの試合とは形式が違って、どちらかというとケンカに近いの。
なら、ケンカの流儀でやってもええじゃろう。
ケンカは少々こっちが怪我しても、相手を殴り飛ばしてつぶせば勝ちじゃ。
怪我はあとで医者が心配すればええ。
そういうわけで、ノーガードでリンネとの殴り合いをする事に決める。
リンネはリンネで、ワシの意図にのって殴り合いを選ぶ。
ノーガードでの打ち合い、体力と根性の勝負じゃ。
さすがに迷いの消えたリンネの打撃は効く。
じゃが、ワシの心を折るには力が足りん。
それはこっちも同様で、リンネを倒すには力不足じゃ。
リンネがなぜ格闘の道を選んだのか、ワシは知らん。
ああまでチャンピオンにこだわる理由も聞いたことはない。
ただ、強くなりたい気持ちは分かるつもりじゃ。
ワシらは育ちが特殊じゃから、なめられたら終わりじゃ。
ワシは最初からなめられんように、ケンカ三昧で過ごしてきた。
でも、リンネはそうじゃなかった。
院でのリンネは、目立たんよう、人と波風たてんよう、誰にでも優しく接してた。
ワシにはそれが不思議じゃったな。
こっちが下手に出ればつけあがる相手ばかりじゃと思うとった。
リンネの流儀は、ほほえみはほほえみを呼ぶ、じゃったんじゃろう。
問題は、それが通用せんクズも世の中にはおる、っちゅうことじゃ。
リンネもそれを見て、なめられん強さを求めた。それは分かる。
極端から極端なんじゃが。
そういえば、ワシが他人に礼儀正しく接することを学んだのは、リンネからだったっけか。
礼儀は礼儀を、優しさは優しさを呼ぶこともあることを知ったのは、リンネのおかげじゃった。
だからこそ、今のリンネは残念でならん。
ワシは世の中の人間はクズだらけじゃと思うとった。
そうじゃないことを知ったのは、リンネのおかげじゃ。
リンネは、本物のクズに出おうて、昔のワシのように、世の中の人間を見るようになった。
そうじゃない。世の中には、クズしかおらんわけじゃない。
世間には、一定のクズはどうしてもおる。それは避けられん、仕方の無い事じゃ。
それと、クズしかおらん、と言うこととは、全く別のことじゃ。
第一、リンネだって、回りの人に支えられて今があるはずじゃ。
コーチや、ジムの仲間や、家族の支援があって、ランク一位まで上ったはずじゃ。
そのことに、リンネが目を向けてくれたらなら……
そういえば、ハルさんも昔はあれていた時期あるらしい。
どういう荒れ方をしてたかはしらんが、ヴィヴィさんのおかげで、自分を取り戻せたという話は聞いたことがある。
ワシはヴィヴィさんのような天才とは違う。第一、ヴィヴィさんのように太陽よろしく回りを明るくする力は無い。
じゃが、それでも、リンネが心を開くきっかけを作れれば。
一人で悩む必要はないことにリンネが気づいてくれたなら。
そもそも、この試合自体が、リンネの事を心配する人のおかげだと、分かってくれたなら。
時はとりもどせん。
リンネがこうなった原因は、取り返しの付かないことが起きたからだというのは聞いた。
命の問題だけは、何がどうあろうと、返ってはこない。埋め合わせる手段さえない。
しかしじゃ、永遠に生きる人間なんておらん。それは誰しも同じじゃ。
あのおじいさんだって、永遠に生きるわけじゃない。いつかは別れが来る。
誰の言葉だったろう。過去がやり直し出来ないのは、失敗がないからだ、っていうのは。
本物のクズに出会ったのは、リンネにとって不幸じゃったし、それが取り返しの付かない問題につながった。
ただ、世の中にはクズはおる。それに出会うのが、遅いか早いかの違いだけじゃ。
ワシはクズを知るのが先で、優しさに触れたのは後からじゃった。
リンネは優しさを知るのが先で、クズを後から知った。
じゃが、それも、リンネが成長するには必要な何かだったのかもしれん。
世の中にはクズはどうしてもおる。それに出会うのは、避けられん話じゃ。
それを乗り越えて、初めて、誰かを守れる強さが手に入る。
ああ、これは冬美さんが言ってたことばじゃな。
「人をぶん殴っても強いことにはならない、本当の強さは、人の思いを受け止められる力だ」
ワシにその強さがあればと思う。
リンネは今まで、人をぶん殴る強さを求めてた。
それが強くなる意味だと思ってた。それは分かる。
ワシもそうだったんじゃ。
でも、そうじゃない。人をぶん殴っても強くはなれん。
人の思いを受け止める力、人の痛みを自分の痛みのように感じる力。
人の悲しみを自分の悲しみとして受け止めて、共に前へ進む力へ変えることができること。
それが本当の強さだ。
たとえば、ヴィヴィさんのように。
「ワシにリンネのことが分かるとはいわん。
失った命を取り戻せる訳でもない。
それでも、強くなることの意味は分かる。
なんでヴィヴィさんは足を壊した後でも立って戦えたかは分かる。
ハルさんが圧倒的なチャンピオンでいられる理由は分かる。
それは、二人に本当の意味での強さが備わってるからじゃ。
リンネが求める強さがどんなものかはしらん。
じゃが、もし、強さを求めるのなら、本当の強さを求めて欲しいんじゃ。
昔のワシのように、なめられんために人をぶん殴る、そんなもんは強さじゃない」
「フーちゃん、じゃあ何が強さだっていうの」
「人の痛みを自分の痛みとして感じる力、それが本当の強さじゃ。
人の痛みを自分の痛みとして感じて、その痛みに負けない心。
それが本当の強さの意味じゃ。
二人にはそれが備わっとる。だから、リンネはヴィヴィさんに勝てんし
ハルさんにはおいつけんのじゃ。
お前は確かにあのおじいさんの痛みを自分の痛みとして感じてるのかもしれん。
じゃが、その痛みに負けて逃げ出してるじゃないか。
格闘を初めて、前を向いてるつもりで、そっちへ全力で逃げ出してるだけじゃないか。
そうじゃない。痛みは痛みとして感じて、本当の意味でそれと向き合うんじゃ」
「私は逃げてるわけじゃない！
ただ、それは取り返しが付かないことだから。
もうどうやっても取り戻せないことだから」
「それが逃げる事の意味じゃろう。
過ぎたことは取り返せん。起きたことは取り消せん。
でも、そこに立ち止まってどうするんじゃ。
時は情け容赦なく過ぎていく、自分だけそこに留まっていられるわけじゃないんじゃ」
「じゃあ、どうしろというのよ」
「具体的にどうしろとも言わん。ただ、痛みに向き合うんじゃ。
逃げずに正面から向き合うんじゃ。そうすれば、自ずと答えは見えるはずじゃ。
お前は馬鹿でもなければ、クズでもないはずじゃ」
ワシの言いたいことが通じたかどうかはしらん。
ワシはリンネじゃない。ワシの感じると思う痛みが、リンネの痛みと同じかどうかは分からん。
本当の答えは、リンネが自分で見つけるしかないし、リンネはそれを見つけられるはずじゃ。
「私は……私は……そうだ、私はおじいちゃんに伝えたかったんだ。
大好きだよって。ずっと、ずっと大切な人なんだよって。
だけど、それは伝えられなくて、もう伝える方法もなくて、それが伝わってるとは思わなくって。
でも、おじいちゃんにそれが伝わってなかったら、おじいちゃんが私を待つこともなかったはずで
だからこそ私を待ってたんで、だからこそ、きっと……」
「……」
「そうだ、私はずっと気に病んでたんだ。
おじいちゃんに会えなくて、私がおじいちゃんを嫌ってると思われたんじゃないかと思ってたんだ。
おじいちゃんがそうして悲しんでたんだと、そう思ってたんだ。
その誤解を解く方法なんてなくて、もう取り返しがつかなくて、だから、私はどうしていいか分からなかったんだ。
だけど、本当は、今でも大好きで、だからおじいちゃんに伝えるんだ。
たとえ伝わらなくても、伝える方法が何もなくても、それでも、大好きだよって」
「……」
「ありがとう、フーちゃん。……次で、決めるよ」
「ああ、ワシもそのつもりじゃ」
リンネの目が澄んだ。
リンネの言ってることはむちゃくちゃかもしれん。
だけど、それはきっと死が持ってる不条理さのせいで
だから、それは自分の心で決着をつけるしかない問題で
それで、自分の心に伝えるんだ。本当に大切な気持ちを、自分から逃げずに。
リンネの渾身の一撃が来る。
ワシを吹き飛ばした、地面を蹴って放つ渾身のアッパー。
当たれば間違い無くこんどこそ意識が飛ぶ。
ぎりぎりかわせた。
「覇王断空拳！」
一瞬空いたボディに断空拳をたたき込む。
これで、リンネの目から光が消えた。
どうやら、本当にこれで勝負がついたらしい。