『聖王家がゆりかごの起動を宣言し、適格者をあつめ始めた。だが、それはオリヴィエには当初無関係だった。
聖王のゆりかご、それはゼーゲブレヒト家を含む王家の人々がその中で生まれる地下施設のことである。
だが、それはまた禁忌兵器中の禁忌兵器としても知られている。ひとたび起動すれば、星々の世界にまでたどり着き、
大地を焼く力をもつという。
聖王家の人々は、生まれるとすぐに聖王核という魔力補助コアを埋め込まれる。聖王核を持つことは、聖王家の人間である
ことの証であり、強靱な肉体と強大な魔力、そしてゆりかごを起動する能力、玉座につくことができることを意味する。
オリヴィエが魔力事故で両腕のみならず、内蔵の多くを失ってなお健常者なみ、いやそれ以上の能力をもって生きていられるのは
その血統と、聖王核のおかげであるだろう。
余談だが、オリヴィエの聖王核にはちょっと普通とちがったことがある。普通は聖王核は外部から与えられるのだが
オリヴィエは母親の聖王核を吸収して生まれ、母親はそのときに亡くなってしまった。親しい人の間では、母子ともに命が失われるところを
母の愛が子を救った美談として語られるが、心ない人は母親の命を奪って生まれてきた鬼子と呼んでいるらしい。
そういう事情もあって、母親が亡くなったことは当分オリヴィエには伝えられていなかった。このため、オリヴィエは母親を探して
さまよい歩くことがあったということだ。
そんなオリヴィエも、強く育った。僕は、愛すべき友人が笑っていられるようできる限り彼女の安寧を守っていくことを誓っていた。
幸いにも、その誓いは大きな労力を払うことなく守ることが出来そうだった。
ほかにも適格者は何人もいたのだ。それに、禁忌兵器中の禁忌兵器、ゆりかごを起動する、という聖王家の布告は
はったりとして上々だった。この布告の後、大規模な戦乱は影を潜めたのだ。小競り合いはなお続いたものの
聖王家が対処できないほどのことではない。
同じ頃、オリヴィエは、クラウスから騎士団の一つを任された。シュトゥラの重臣達も賛成だったし、騎士達の士気も上がった。
オリヴィエの武勇は折り紙付きだったし、シュトゥラと聖王家の結びつきが強くなることは喜ばしいことという認識もあった。
だからといって、オリヴィエの日常が大きく変わることはなかった。
日々学びと鍛錬。そして、任された騎士団を率いての出陣。
ここ一年ばかりは、聖王家の王女、としてより、シュトゥラの姫騎士、としての方が通りがよいほどだった。
僕はといえば、相変わらず食客としての日々を送っていた。
若き覇王との練習試合は楽しいものであったし、シュトゥラにずっと縛られる生活もしていなかった。
クラウス率いるシュトゥラの国運も上々と見えた。武勇にも優れ、兵にも慕われる覇王。
強く優しく美しい王女。
二人はやがて結ばれ、シュトゥラと聖王家はより強く結びつく。
そんな風に円満に物事が進んでいく。
僕を含め、この国の人の大半がそう思っていた。
ただ一人、とうのオリヴィエを除いては。
そうそう、ある日の鍛錬のことを書いておかなければならない。
その日もクラウスとは全力で拳を交えた鍛錬を重ねたものだった。
ただ、少し違っていたのは、その日はその後クラウスには重要な人物との会食が待っていたということだった。
ただ、全力での鍛錬の後のこととて、湯殿に入って着替えねば会食に出られる格好ではない。
それはこちらも同様の有様だ。
クラウスは、一緒に湯殿にはいらないかと誘った。
こちらは、熱い湯が苦手だと丁重にお断り申し上げた。
クラウスはちょっと残念そうだったが、別段こだわるわけでもなく、湯殿へと向かった。
僕は沐浴場へと向かって体を洗うことにした。
いや、本当は熱い湯が苦手というわけではない。クラウスと同じ湯にはいると
自分が女だとばれてしまう。それがいやだっただけである。
クラウスは紳士なので、女のかおに全力で拳を打ち込むとか、そういうことはしないだろう。
それでは鍛錬にならないし、僕の楽しみがなくなってしまうのだ。
ちなみに、旅に出るときも男の格好で出るようにしている。女の一人旅は余計な詮索をうけるし
荷物は増えるし物騒だしで、いいことは一つもない。
オリヴィエは、冷たい水をかぶる僕を見て見ている方が寒いと言った。
いや、冷たい水は慣れているから僕は平気だ。野宿の時に体を洗うときは
いちいち湯など沸かしていられない。
その夜、僕はオリヴィエの寝室に招かれた。
オリヴィエは語った。ゆりかごの玉座につくのは、自分であるような気がすると。
そして語を次いだ、そうなってもクラウスを助けてくれと。
僕は答えた。滅多なことをくちにするものではないと。クラウスも言ってる通り
ゆりかごは禁忌兵器中の禁忌兵器で、起動したらとりかえしがつかないと。
それからわずか半月後、シュトゥラの森が燃えた。
あの魔女猫の住む森だ。
シュトゥラの森は軍事的にはなんの価値もない。経済的ににもそれほど値打ちはない。
いや、シュトゥラの魔女が守る鎮守の森だから、その手の目的には利用できないのだ。
そんな森を、ただ焼き払う手合いが現れたのだ。いったい誰が、何のために？
賊はクラウスが一人でなぎ払った。だが、シュトゥラの魔女のばあさんは亡くなった。
不幸中の幸いというか、魔女猫の子は助かったが……。
時を同じくして、反聖王連合による襲撃が同時多発的に発生した。
狙われたのは、聖王連合の国である。
ゲリラ的に辺境を襲うやり方は同じ。だが、反聖王連合の真の狙いがどこにあるかは
はっきりとしていた。
辺境に兵力を派遣させ、戦力が分散したところで禁忌兵器を大量投入することにより、ゆりかごを制圧する。
クラウスは反聖王連合の戦略をこう分析してみせた。
皮肉な話だが、オリヴィエの決意が固まったのは、このときだと思う』